新年早々のガーンときた話
今年の年越しはCDJに行ってきた。
訳あって、招待していただき家族で行くことができたのだ。
感謝、感謝。
僕はサンボマスターが好きだ。
あの風貌、キャラクターもいい。歌詞も良いし、演奏力もある。
曲もすごくいい。
そんな、彼らがCDJで年越しカウントダウンライブをやるというものだから楽しみにしていた。
実際、現地についてサンボマスターのライブを見てみると。
もう会場は熱狂に包まれている。
会場全員がノリノリの跳ねまくりだ。
全員大合唱している。
そんな中、僕はなんだか冷めていた。
本来実力があるバンドが、盛り上げることに夢中すぎて、アンサンブルが・・うまく成り立っていない・・・。リズムが・・辛い。
そして、歌唱力がある山口さんのボーカルが歌の合間に盛り上げようとしすぎていて平歌が全く聞こえない笑
さらに悪いのは、バンド全体の音量だけはやたら大きく、前で見続けることができない・・。これだけ会場がでかいのに、典型的なライブハウスの音だ・・。
そんな状況で、どうしてこの人たちは踊りまくれるんだろう?
ドラムとサビだけ聞こえればそれでいいのなら、音楽が主役じゃないじゃないか・・。
もちろん、会場のせいもあるとは思うのだけれど、それ以上に僕が悲しかったのは
「盛り上がったら勝ち。」
という価値観にサンボマスターほどの実力者が甘んじているということだった。
決して手を抜いているわけではない。
エンターテイメントに徹した結果なのだとは思う。
現に会場は爆発せんばかりの盛り上がりを見せているわけだから。
新年早々ちょっと厳しいことを言おう。
僕が洋楽のRockに感じていて、こういうライブを見たときに足りないと感じているもの。
それは、アートであるということへの矜持だ。
西洋派生の音楽においてリズムやピッチが、合っているというのは最低限超えなければいけない、一つの資格のようなもので。
そこを乗り越えてなければ、人前で演奏することってクラシックの世界なら、きっと許されない。
一流のバンドが、それを放棄してエンターテイメントに屈してしまうというのは、どうも日本の音楽がロックですら演芸の世界からまるで発展していないことを暗に示しているようで、なんだか暗い気持ちになってしまったのだ。
ファンが喜んでくれればなんでもいいというのもわからなくはないんだけれど、例えばOasisやAerosmithだったら、こういうことはまず無いんじゃないだろうか。
サンボマスターはれっきとしたロックバンドであって、それを名乗るだけの作曲力、演奏力がある。間違ってもアイドルバンドじゃない。
それでも、そういうスタンスで、爆盛り上がりしているのは、「この国でやるなら、これが正解です」的なある種の不文律があるからじゃないだろうか?
とか色々難しく考えてしまったわけなのです・・。
お祭り騒ぎが日本の文化なんだよ!と言われるとそれまでなんだけれど、できれば僕は洋楽を語る文脈と同じ文脈で日本のロックがこんなにも素晴らしいと語りたい。
という、胸の想いを母に伝えてみたら、TPOをわきまえろという趣旨で怒られてしまった。
同じアホなら踊らにゃソンソン。踊れぬアホはアホ以下じゃと。
うーん、確かに。僕はこんな会場まで来て何を斜に構えているのだろう笑
そういうところは小さい頃から、ずっと変らないなぁ・・・。
そんなこんなで、2019年が始まってしまったわけだけれど、
僕は僕にできることで、戦っていきたいと思います!
今年、何ができるかなんてわからないけれど、できることは全部やる。
そういう年にできたらいいな。
そう目論んでおります。
本年も何卒、よろしくお願いいたします!